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サイレント映画はなぜ面白い

サイレント映画はなぜ面白い


喜劇という言い方があるように、どうしてコメディの中に、サイレント映画なるものがあるのだろう。これがずっと疑問でした。僕自身は映画マニアでもないですし、頻繁には観ませんが、偶に観るとどこか「滑稽さ」というものが伝わってくる。何故なんでしょう。


 結論から言いますと、これは「ズレ」に起因するのだと思います。ズレというのは、その人の行動と環境のズレです。極端な例ですが、いきなり街中に真っ裸の人が現れたらどうでしょう? 法律云々はさておき、やはり「異様だ」「変だ」と映るでしょう。一方で誰かがその模様を撮影したら、昨今ではそのコラ動画が出回るのではないでしょうか。俗物的ではあるものの、一種のコメディ感が出るわけです。ではなぜ、「変だ」と思うのか。それはひとえに「私たちの社会では、服を着る」のが当たり前だからです。真っ裸の人が異様なのは、文明化された町だからこそ、そう映るのです。もし皆が真っ裸の部族の村だったら、「裸だから変」とはならないでしょう。


 この「ズレ」をあえて強調する形にしたのが、サイレント映画なのだと思います。「モダンタイムス」というチャップリンが監督・主演を務めた映画の内容に少し触れます。そこにはチャップリン演じる「ねじ回し男」が登場します。労働者はとにかく、ねじを回すなど機会的に働くことを、教え込まれます。結果、彼は自らがベルトコンベアーに乗せられようとも、街中だろうとねじ回しに終始する、つまり「異様」なのです。この環境と個人の行動のズレが、サイレント映画だと早送りかつ、リズミカルなBGMが流されるため、より一層強調されます。だからこそ滑稽であると同時に、何らかしらの社会的メッセージともなるのでしょう。